法話

法話

近頃であった尊い言葉 

私が近ごろであった尊い言葉 お念仏は真実

仏教は理解できない、仏様も浄土も信じられない。死後の世界などなのではないか。時々このような声を聴きます。2500年前釈尊が説かれた真実がお経となって今私の所に届いているのです。この間インドから中国へ玄奘三蔵などたくさんの僧侶が命がけでお経を伝えてくださいました。そして日本に仏教が伝えられた時も鑑真和上など大変な苦労の末、今仏教が伝えられてきたのです。

正信偈の中に「依修多羅顕真実」(お釈迦様の説かれたお経によって真実が顕かになる)という言葉があります。これを稲垣瑞釼師は「仏さまは尊い、仏法は厳粛であって、少しの誤りもない。それ故お経に書いてあることは、自分のはからいを混ぜずに、聞信すべきである。それが仏法に遇う道である。」仏教を私の頭で科学的な判断では理解することはできない。お釈迦様のお経をそのまま聞かせていただく以外にはないと述べられています。

しかし現代の世界を見ているとインドで生まれた仏教はインドではほとんどなっなってしまいました。今世界で勢力を増しているのはイスラム教のような気がします。また日本でも仏教離れが多くみられるのではないでしょうか。お念仏の声が聞かれないと言われて久しいのが現状です。阿弥陀様の呼び声は南無阿弥陀仏となって世界中に響いているはずなのに、お念仏の教えが広まっているとはとても思えません。浄土真宗の寺院も門徒も沢山おられますが、どれくらいの方々がお念仏の教えに遇っているのでしょうか。先祖供養や葬儀のためのお念仏と考えている方が多いと思います。阿弥陀仏の働きはどこにあるのでしょうか。

観無量寿経に「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨」(阿弥陀仏の光明はすべての世界をあまねく照らしている。念仏に遇うすべての人々を救い取って捨てることはない)と説かれています。これを大江淳誠和上は「春来りなば田の畦道の名もなき草にも可憐なる花が咲き、秋来りなば庭隅に淋しい虫の声が聞こえてくる。花の咲くところのみに春が来るのではなく、虫の声の聞こえているところだけに秋が訪れているのではない。一花咲けば天下の春であり、一虫鳴けば天下の秋である。それがごとく、たとえ僅かなりとも地上に如実なる信者の念仏の声あるならば阿弥陀如来の慈光がすでに来り、名号の響きが今や到れる証拠である。」今私の上にお念仏が届き私の口にお念仏が出ているこれこそ阿弥陀仏の働きたまう確かな証拠であると聞かせていただきました。