法話

法話

私が浄土へ生まれていく宗教 〜私たちは真実に遇い、真実に生きねばなりません〜

 親鸞聖人が浄土真宗と述べられたのは宗派の名称としてではなく、教えの内容を示されたものです。浄土真宗のみ教えは「浄土から私に真実が届けられている教え」であり、その真実に遇うことによって「私が浄土へ生まれていく教え」です。

 最近無宗教と云う人が多くいます。先日もテレビで高名な評論家が「私は無宗教だから」と堂々と述べていました。
 宗教とは「私の中心となる教え、生きる拠り所」と言うことです。宗教を持たないという人は「私には仏も神も必要ない、人生は自分を拠り所として生きる」と言うことです。
 しかし自分が本当にあてになるものでしょうか。

 ビハーラ病棟に入院された50歳代の男性は会社を興し、会社のため、社員のため、社会のためと働き詰めに働き会社の業績を伸ばしてきました。一年前ガンになって様々な治療を受けられました。しかし末期ガンと診断されビハーラへ入院されました。今まで自分の力を信じ、自分の力で生きてきた、しかし自分のいのちはお金でも医学でも、物では解決しない。そして家族も救いにはならない。どうしたらよいのかと苦しみを訴えられました。そしてお念仏のみ教えに遇われたのです。

 「仏様におまかせします」と手を合わせて安らかな時を過ごされました。親鸞聖人は「火宅無常の世界は、よろずのことみなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまこと」と述べられました。
 この世の中のあらゆる物は移り変わるものであり、いかに大切なものでも皆、生死流転するあてにならないものです。変わることのない、壊れることのない真実を拠り所として生きねばなりません。真実とは何でしょうか、親鸞聖人は「念仏のみまこと」と述べられました。「南無阿弥陀仏の念仏は、いつでも、どこでも、誰でも必ず救う、この弥陀にまかせよ、との阿弥陀如来の呼び声です」いつでもどこでも変わることなく私を支え、護り続ける大きな働きです。
 この阿弥陀如来の慈悲に出会うときどんな時も、どんな境涯でも安心して生きられるのです。浄土真宗とはその私を救うというお念仏が、いまこの私に届いていることを聞かせていただくのです。聞かせていただく時、この私の人生は真実の世界、浄土に向かって生きていく人生であることに気づくのです。

 人間は何のために生まれ、何のために生き、どこへ向かっているのでしょうか。私たちは真実に遇い、真実に生きねばなりません。浄土真宗とは「往生浄土の真実の宗教」です。この私がお念仏に遇い浄土という真実の世界へ向かって生き抜き、仏様と共に歩む人生です。そしていのち終わるとき浄土に生まれていくのです。