法話

法話

私がビハーラ活動を始めた訳 

 長岡にビハーラ病棟ができると云うことが決まって私がビハーラ活動に関わる事になった理由は、ビハーラは末期癌専用病棟で、今現に病いと死、そして老に苦しんでおられる方に関わらなければならない、本来仏教の目的である生老病死からの解放がビハーラ活動を通してできるのではないかと考えたからです。
 長岡西病院を皆で作ろうとそのお手伝いをさせて頂きました。そして、今まで入りづらかった医療の現場からが坊さんに来て下さいと誘われた。こんな素晴らしい事は無いじゃないか。是非お手伝いをさせて頂こうという沢山の僧侶がビハーラの活動を始め今も続けているわけです。このビハーラの活動を続けて、葬式仏教と揶揄される様な仏教から、本来、人々の苦しみと共に寄り添う仏教者になりたいという思いがあったわけです。

 ハード面で仏教の病院を建設すること、そしてソフト面ではビハーラケアとは何か。ビハーラ病棟におけるケアとは何かという事も、勉強しなくてはならない。坊さんであるから病院に入って行っても何の役にも立たない。その為には医療について、患者さんとの関わりについても少しでも学ばねばならないという事で、医療関係者を招いて毎月勉強会も開きました。また、医療者の方にも少しでも仏教に触れて欲しいという事で、仏教講座も開きました。また、長岡市民に対して西病院にビハーラ病棟が誕生し、それはこのようなケアをするところだなど啓発活動をしなければならないという事で、市民向けビハーラ講座もやって参りました。

 そんな事を通じて今20年経つわけですけども、私がいつも考えているのは、前の院長、田宮崇先生が、坊さんのいる風景になって欲しい。お香が香る様に。薫習する様な僧侶になって欲しい。また田宮仁先生は仏教者屑籠論を提唱されました、屑籠は部屋の真ん中にあると邪魔になるけど、無いと汚れる、出しゃばらずいつも見守っている存在でありたい。田宮崇先生は目に見えないけど、薫りが香るような、そんな仏様がいて仏教者がある風景を作って貰いたい。いつでもお坊さんがいるという安心の場を作って欲しい。

 現在まで、毎朝、晩の礼拝。そして仏教行事として、涅槃会、春秋の彼岸会、花祭り、お盆、成道会等の行事、それからお亡くなりになった時にお別れ会を行います。これは特殊浴槽にお入れして身体を清め服装を整えて、そして仏堂に来て、最後のお別れをします。読経と焼香それから短い法話、担当看護師と医師からの感想などです。これはもちろんお布施は要りません。このようなことを続けてきました。

 もうひとつ、ビハーラ病棟は超宗派です。ですから浄土真宗の教えを強要するという事はありません。患者さんの願いを中心に医療とケアをする場所ですから、患者さんの願いを大切にお参りしたくないという方は勿論おられますし、仏堂には行きたくないという方も、坊さんの姿を見たくない、部屋に入って欲しくないという方もおられます、そういう方もおられる事を踏まえて、伝道活動はしない。宗派エゴを出さないという事にしています。

 ただ、個人的に教えの詳しいことを聞かれる場合はとことんご相談に応じることはあります。大分前でしたけども、80代の女性が非常に熱心にお参りをされておりました。朝晩のお参りは勿論、お部屋に行っても「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」お念仏を称え、ありがたい事ですどこにいてもお念仏が出ます。こう喜んでいた彼女が、だんだん病状が悪化して、仏堂に出て来られなくなりました。それで私がお部屋に寄せて頂き、「辛いですか、苦しいですか」と言ったら、「全然苦しくは無い。身体は楽ですよ。でも、私は本当に浄土に参れるんでしょうか?」と聞かれました。彼女は勿論ビハーラに入る前、数十年、お寺に参ってお念仏喜び、自分の帰る場所は、真実の故郷、お浄土であると願っておられた方です。しかし、いよいよ最後の最後、亡くなられる数日前になって本当に私は浄土に参れるんだろうか。こう聞かれたのです。
 私はその時、ちょっとドキッとしました。何十年もお寺に参って、仏法の話を聴いていながら、最後の最後、お浄土に参れるんだろうかと聞かれた時、どう答えて良いかなと思いながら、

「貴方はどうしてそういう事を思われるんですか?」
彼女は「何か私は不安になって来ました」
「貴方が不安になるのは仕方ありませんが、誰がお浄土に連れて行くんですか?貴方が自分の力で行くのではないのではありませんか。阿弥陀様が必ず救う。我に任せよ。貴方を決して見捨てる事はありません。それが南無阿弥陀仏ではないですか。今貴方の口から南無阿弥陀仏とお念仏が出ている。それは、必ず救うと今、貴方の口元に仏様が来ておられるんですよ」
こんなことを答えたことがありました。

 私達人間は当てになりません。これで間違いない、これで救われる、これで大丈夫と思った事は、いつどうなるか分かりません。しかし、真実なる如来が我に任せよと、今この私を喚んでいてくださるのです。ビハーラ病棟で活動を続けているのは仏教者の原点がそこにあるような思いがあるからです。