法話

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浄土真宗の利益 〜お念仏はなにものにも勝る大善、大功徳である〜

先日門徒からこんな質問を受けました。

 「毎日御文章を拝読しているが、信心を頂いてお浄土に生まれることを繰り返し説かれているが、現在の利益については全く示されていないように思う。浄土真宗には現世利益はないのですか?」とまた全国のお寺や神社にはお札が売られていて、心願成就を願う人が多いが、浄土真宗のお寺にはそのようなものは一切無いが、私たちの現実の願いをかなえてくれることは無いのか?と。

 私は先日京都のある有名観光寺院に拝観に行きました。その時護摩木のようなものが売られていました。2種類あって小さい方は千円、大きいものは一万円でした。そこに自分の願いを書くのです。見ていると多くの人が「病気平癒」「商売繁盛」「学業成就」「家族安泰」などと自分の願いを書いて奉納していました。
 立派な仏様の前にお参りして、自分の願いを聞いてくださいと願うのは自然のようですが、そんな自分の願いを仏様に叶えてもらえるのでしょうか?
病気を治して欲しい、お金が儲かりますように、希望の大学に入学出来ますように、家族が事故に遭いませんようにと、自分の都合の良い願いを仏様にお願いしても、自らの努力無くして物事は決して成就しません。お札を買ってお願いしたら病気が治れば、病院も医師も必要ないです。努力しないで商売も学業も成功しません。

 では本当の利益とは何でしょうか?人生は思うようにならない事が多いものです。あてにならない、思い通りにならない、何が起こるか解らないのが世の中です。今年3月の東日本大震災を見れば明らかです。人は不安と不満の日々を送っています。

 そして家族がいれば、お金があれば安心と思っていませんか?でも何が起こるかわからない。思うようにならない世の中です。災害や事故や病気はいつ起こるかわかりません。お釈迦様は「人は平素、人間関係の中で生きているが、究極のところ一人生まれ一人死んでいかねばならない。誰も変わることは出来ない。自分の行いで人生が決定する」と説かれました。
 結局私の人生は自分の力で生きていかねばなりません。しかし私は一人では生きていけない存在です。あて頼りになる真実の支えが必要です。究極の支えになるものは目に見えるものではないのです。私の周りにあるものは全て移り変わり、消滅変化するものです。
 あてにならないものをあてにして生きている私たちに「真実に気づけ、あなたを一人にはしません、いつでもどこでもあなたと共にあります」と呼び続けている声が「南無阿弥陀仏」です。お念仏を称えるとき独りぼっちではありません。いつも仏様がついていてくださいます。どこにいても、どんな境涯でも私を見捨てることのない真実がお念仏です。この私を見捨てることのないお念仏に支えられ、あてにならないこの世を一日一日精一杯生き抜くことが本当の利益ではないでしょうか。そしてお念仏はいのち終わるとき必ず浄土に生まれさせると誓われています。お念仏は私を抱き取って離さないといつも働いていてくださるのです。
 親鸞聖人も蓮如上人もお念仏はなにものにも勝る大善、大功徳であると述べられます。それが浄土真宗の利益です。