法話
浄土真宗ということ 〜仏になるべき種を蒔かねばなりません〜
浄土真宗とは、「往生浄土の真実の教え」ということです。この私がお浄土に生まれていく真実のみ教えを浄土真宗と名付けられたのです。
しかしこれは決していのち終わってからの教えではありません。今日只今から浄土に向かって生き抜いていく教えです。私のいのちは明日が保証されていません。無常迅速が仏教の教えです、何時何が起こるか解りません。「今度寺で法要があるから、法話会があるからお参り下さい」とお誘いすると「仏教を聞くのは歳を取ってからでよい、今は忙しくてお寺参りなど出来ない」といわれる方が多いのが現状です。しかし忙しいのは何時になっても変わらないのではないでしょうか。元気なとき、若いときから仏法を聞かねばなりません。蓮如上人は「仏法には明日と申すことあるまじく候ふ。仏法のことはいそげいそげと仰せられ候ふなり」と述べられました。人間が仏になる事は大変なことです。亡くなられた方を仏さまということがありますが、人間が仏法に遇わずにだた亡くなればそれは死人です。仏になるべき修行もせず、仏法も学ばず「いのち終われば仏さま」などという仏教は在りません。
人間が仏になるには、仏になるべき種を蒔かねばなりません。私達には仏になる行も願いもありませんが、阿弥陀如来はその私達を必ず仏にするぞと本願を起こし、全てのものを平等に救う「南無阿弥陀仏」を成就されたのです。私がこのお念仏の種をいただけば、浄土に生まれて仏になるのです。浄土真宗とは「往生浄土の真実の教え」といいましたが、それはまた「浄土から私に真実が届いている教え」でもあります。阿弥陀如来の本願成就の念仏が私を呼び覚ましてくれるのです。このお念仏を拠り所として精一杯生き抜く教えを浄土真宗といいます。