法話

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本山大遠忌法話「念仏は私を呼ぶ声」 〜いつでも、どこでも、誰でも必ず救う我にまかせよ〜

お釈迦様は人生は思うようにならないもの、苦しみの多い世であるとのべられました。

 3月11日に発生した東日本大震災では、多くのいのちが失われ、また家族や家など全てを失った人が大勢います。こころから心からお見舞い申し上げます。現代は科学が発達し、医学も飛躍的に進歩しましたが、人間の苦悩を真に救うことはできません。そんな苦悩の私を阿弥陀様は必ず救う、我にまかせよと、いつでもどこでも呼ばれています。
 しかし多くの人々はその事に気づきません。そして自分中心の見方しかできずに、目の前のことに追われているのではないでしょうか。

 ご開山親鸞聖人は、弥陀の本願を信ずる人は仏様の大いなる働きで、全ての人が悟りを得ることができるとのべられています。しかし多くの人は、仏様やお浄土は解らない、今自分の見ている世界が全てだと思っているのではないでしょうか。
 しかし仏様はいつでもどこでも「気ずけよ、我が名を呼べ」と私に働いていてくださいます。そんな仏様の働きに出合うことがあります。

 私は20年近く長岡にある末期ガン専用、ビハーラ病棟にお手伝いに行っています。少し前、朝8時半のお参りにいったときのことです。一人の患者さんが「あら、久しぶりですね」と声を掛けて下さいました。しかし私は彼女を思い出せませんでした。お参りをし、お話をして、お焼香をしてみなさんがお部屋に帰られます。その方を呼び止め「先ほど挨拶されましたが、どちら様でしたか?」「私を覚えていませんか?私は12年前この病棟で主人を見送ったのですよ。私もガンになってもう治らないと云われここにお世話になりました」と打ち明けられました。

 私はボランティア室に戻って、12年前の記録を探し、彼女のご主人の記録を見つけ思い出しました。それから彼女の個室に伺ってお話をお聞きすると「この部屋を分かりますか」と尋ねられました。私は病棟にある27床全ての部屋を訪ねますから「どの部屋もわかりますよ」と答えますと、「この部屋は私が主人を見送った部屋なのです」と云われました。入院が決まり、看護師長さんから部屋を聞かされたとき、なぜこの部屋なのか一瞬驚いたそうです。そしてベットに横になり目を閉じたらご主人が「おまえもガンになったか、迎えに来たぞ、早く来い」という声が聞こえたように思ったそうです。

 ビハーラ病棟は末期ガン専用病棟ですから平均では二ヶ月あまりで亡くなられる方が多いですが、決して死を待つところではありません。痛みを取り、苦しい思いをさせないように、人生の最後を悔いのないように生きていただく為に、スタッフ全員でケアするところです。しかし彼女は「早く主人のところに、死にたい」が口癖のようになりました。彼女には二人の娘さんがいますが、一人はアメリカに、一人は新潟県内に嫁ぎ、その後は夫と二人で生活していましたが、12年前ご主人を亡くしてからは一人で暮らしをしていました。ガンを患って寂しい思いが彼女を孤独にしたのだろうと思います。

 そんなある日、私が朝の当番でエレベーターを降りると、彼女が持っていて、私を食堂へ連れて行きました。その棚の上に大きなドライフラワーが飾ってありました。「あれを降ろして下さい」と言われ下に降ろすとその奥に一枚「蓮の花」の写真がありました。その写真も取ってくださいといわれ、降ろしました。彼女は裏を見て「やっぱり主人の写真だ」といわれました。ご主人は写真が趣味で病室には沢山の写真が飾ってあり、その一枚にサインをして病棟に寄付されたのです。12年前のことですからすっかり忘れていましたが、それを彼女は見つけたのです。次に云われた一言は忘れることができません。それは「私はもったいないことしていた」とつぶやかれました。今日まで早く主人のところへ、死にたいといっていたことは間違いだった。ご主人の写真に気づいたとき、自分が気づかなかっただけ、解らなかっただけ、主人はずっと一緒にいてくれた、見守っていてくれたんだと感じたそうです。

 それからの彼女は身体の状態は悪化していきましたが、医師も驚くほど一日一日を精一杯生きられました。主人が見守っていてくれるひとりぼっちではないと、朝夕のお参りはよほど具合が悪いとき以外はお参りにでてこられました。
 そして最後は「おかげさま、ありがとう」お礼を言いながら亡くなられていいきました。決して臨終が良いとか悪いとかと言うことではありません。仏様になられた、ご主人がいつもいてくれると言う思いが、生きる意欲を与え、彼女に生き生きと生きる力を与えたのです。
 お念仏は死の準備ではありません。いつでもどこでも、どんな境涯にあってもあなたを見捨てることはありません、抱き取って離しませんと仏様と共に生きる安心の人生が与えられるのです。

 そして蓮の花の写真が彼女に仏様に気づくきっかけになりました。仏様の足下を見てください。蓮台といいます、仏様は蓮の花の上に立っていらっしゃいます。維摩経に「高原の陸地には蓮を生ぜず、卑湿の汚泥に蓮を生ず」と説かれています。高原の陸地とは清浄なる仏国土、お浄土のことです。阿弥陀如来はお浄土にじっとしておられる方ではありません。卑湿の汚泥とは私たちの住む娑婆です、私の苦しみ悲しみの中にこそ仏様は働いてくださいます。この世はむさぼりや怒りや無知など煩悩に満ちています。蓮は泥田の中から咲いて、花も、葉も、茎も一つも泥にまみれません。煩悩に満ちたこの世で、仏様は必ず救う我にまかせよと呼び続けていてくださいます。その働きが南無阿弥陀仏の声となって、今私を呼んでいてくださるのです。

 南無阿弥陀仏とは「いつでも、どこでも、誰でも必ず救う我にまかせよ」と親鸞様は教えてくださいました。
 いつでもとは昨日も明日も十年先もと言うことですが、昨日は過ぎ去った日、明日はあてになりません。いつでもは今のことです。どこでもとは、日本にいても、世界中どこでもということですが、私のいるここです、誰でもとはいのちある全てのもと言うことですが、私のことです。つまりお念仏は「今、ここで、私を必ず救う我にまかせよ」と阿弥陀如来に呼ばれているのです。私たちは仏様が「南無阿弥陀仏」と呼び続けていたお念仏を聞きながら、右の耳から左の耳に聞き流していたのです。しかし聴かせていただくうちに、この私が目当てと聞こえてくるのです。その阿弥陀様のお慈悲に遇わせていただいたとき、仏様と二人ずれの人生が約束されます。見捨てることのない、真実に抱かれて思うようにならない人生を精一杯生き抜くことができるのです。そして恩徳讃にあるように、阿弥陀如来の計り知れないお慈悲抱かれて、身を粉にして、骨を砕く思いで世の為、人のためにも働かせていただくことのできる、力強い人生を歩ませていただくのです。