法話

法話

仏の仰せのまま 〜念仏一つで必ず救う〜

 秋を迎え、毎日落ち葉が落ちて、掃除が大変です。掃いても掃いても落ちてくる落ち葉を見ながら次のようなお話を思い出します。

 仏典の中にシュリハンドクという方おられます。シュリハンドクは大変物覚えが悪く、自分の名前も覚えられない程でしたから、周りからバカ扱いされていました。しかしお釈迦様の評判を聞き、自分も是非お弟子になりたいと願いました。しかしお釈迦様の精舎に往きますが、「おまえのような物覚えの悪いものは弟子にはなれない」と断られてしまいます。ある時偶然お釈迦様が出てこられて、悲観して泣いていたシュリハンドクに出合いました。そしてお釈迦様によってお弟子になることが出来ました。

 お釈迦様は、シュリハンドクに一本の箒(ほうき)を与え、ただ「塵(ちり)を払(はら)う、垢(あか)を除く」といいながら精舎を掃除しなさいと教えられました。シュリハンドクは毎日毎日まじめに掃除を続けました。そして長い月日の後、シュリハンドクは考えました。毎日掃除してもまた葉っぱが落ちてくる。木がある限り葉は落ち続けるだろう。自分の身体の垢もまた生きている限り出てくるだろう。お釈迦様は私の内なる煩悩が、迷いの根源である、これを掃除しなさいと云われているのか?と知り、ついに空・無我を悟り、後におしゃかさまのお弟子の中でも十六羅漢(じゅうろくらかん)の一人となったというお話です。しかしこのお話は、どこかに脚色があると思います。自分の名前さえ覚えられない、シュリハンドクが自ら空・無我を悟ったのではなく、シュリハンドクはお釈迦様の説かれることに全く疑いを持たずに行った結果お悟りに至ったのだと思います。つまり仏語を疑いなく信じた結果悟りを得たのです。

 私達も仏教の難しい教えや言葉を覚えて救われるのではありません。仏さまの仰せられることをそのまま信ずることです。「念仏一つで必ず救う」と誓われた阿弥陀如来の仰せのままを頂くことです。