法話
自己中心の世の中 〜協力し分け合ってこそ生きていけるのです〜
「自分がかわいい ただそれだけで生きてきた
それが深い悲しみとなったとき ちがった世界が開けてきた」
浅田正作
これはお念仏の教えに深く帰依した浅田正作さんの言葉です。
人間はいつも自己中心的な考えでしか生きられないのではないでしょうか。最近それを象徴する出来事が国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(コップ15)でしょう。今や地球環境は待ったなしの危機的状況です。しかしそれを理解した上で世界の国々の長が集まって大々的に会議を開きました。しかし自国の利益だけは守りたい国々のエゴのために全く前進的な結論は先送りされました。先進国と言われる国また途上国も自己主張のみに終始しました。
世間の話しではありません、この私が自己中心で生きています。私たち人間はいつも自分が一番の考えから抜け出されないのです。「俺が一番苦労している。私が一番我慢している。俺がこの家を支えている」「俺が正しい」と言うとき相手を見下し、間違いだと争いがおきるのです。
仏教は縁起の教えです。それは全てのものが関わり合って生きていると言うことです。一人だけの幸せも、一国だけの利益もあり得ないのです。限りある地球です、世界中の全ての人や国が満足することは出来ません。お互いに譲り合い、助けあい、協力し分け合ってこそ生きていけるのです。仏教にこんな説話があります。「仏の国と人間の国の違いです。それぞれの国ではテーブルの上に沢山のご馳走が並べられました。しかしそれを手に付けられた長い長い箸でしか食べることは出来ないようになっています。人間の国では自分がご馳走を食べようと我先にと競ってご馳走をつかんで食べようとしますが、箸が長すぎて口に入れることが出来ません。あちらこちらで争いが起こっています。一方仏さまの国では一人がご馳走を箸でつかんで相手の口に運んで食べさせます。みんなが協力してご馳走を分け合いながら食べています」
人間のエゴ、自己中心性を表した話しではありませんか。
又お経の中に「小欲知足」という言葉があります。「これが欲しい、あれが欲しい。こうなりたい」と欲望のみで生きている世界は餓鬼道です。人間の欲望はきりがありません、限られた地球資源の中で、自分の身の丈にあった生活をしなければなりません。そして俺が俺がと自己主張するだけではなく、そんな自分の姿に気づき自己反省をするとき、相手の気持ちも理解し合える世界が開けてくるのではないでしょうか。
自己中心的な性根は変わりませんが、それに気づかされた時みんなで共に生きられる世の中になると思います。