法話

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連続研修会への進め 〜念仏の喜びにあふれた宗門に〜

 浄土真宗は念仏がその根本です。寺院も宗門も念仏のお法で成り立っています。先日知人の前住職さんがガンで亡くなられました。亡くなる前「この寺はお念仏でできている。お念仏を忘れるなよ。お念仏が無くなればこの寺も無くなるぞ」と遺言されました。しかし今、僧侶も門信徒も本当に念仏を中心として生きているでしょうか。念仏を無くした浄土真宗は消滅していくしかありません。もう一度お念仏の喜びにあふれた宗門に再生しなくてはなりません。その為に今全国で連続研修会(連研)を実施しています。連研を通じて僧侶も門信徒も共に学び、お念仏を喜び、寺院が活性化して、み教えを一人でも多くの人々に伝えていかねばなりません。

 親鸞聖人によって開かれたお念仏のみ教えは、蓮如上人によって全国に広がりました。それは念仏者一人一人が信心の喜びに溢れた教団であったと思われます。しかし現在宗門の現状は僧俗一人一人が共に念仏のみ教えに生かされ、いきいきと活動しているとはとても思えません。この様な現状を打破し、み教えを広める一つの柱となる活動が各組で行われている連研です。連研を推進し共にお念仏み教えを喜び、念仏に生きる門徒を育てていかねばなりません。

 連研の推進のために、まず僧侶間で連研の目的の確認と実施に当たっての綿密な討議が必要です。それによって僧侶も共に育っていきます。連研を実施する事は組活動が活性化することでもあるのです。

 僧侶と共に寺院活動の核となる門信徒を育てる必要があるのです。

 浄土真宗は聴聞がそのいのちです。しかし多くの法座では布教使が一方的に教えを説くだけに終わっています。門徒の声を聞くということはほとんどありません。しかも法話の内容が譬え話や世間話で終始して、お念仏のお法りが聞かれない事もしばしば見られます。また全く自分で咀嚼していない仏教用語を使い、門信徒に訴えるものがない法話も聞かれます。「聞きたくもないこと」を聞かされ、「ほんとうに聞きたい事」聞かせてもらえない法座、「何を聞いていかねばならないのか」「何が私の人生の問いなのか」を明らかにされないまま放置されている門徒の現状があります。これではいくら法座を開いても念仏者は育ちません。そして参詣者が減少していくのは当たり前ではないでしょうか。連研は門徒の問いを大切にする法座です。聞きたい事を聞くことの出来る場、言いたいことのいえる場を連研を通して作って行かねばなりません。連研を実施することによって法座や布教のあり方も変わっていきます。門信徒の悩みや苦しみを受け止めることの出来る寺院・僧侶でなければなりません。寺院は本来人々の苦悩を聞き、門徒と共に歩む場ではなかったでしょうか。連研は門徒の声に耳を傾けていくことです、連研を通じて聞く姿勢を持つことが大切です。それによって門信徒と共に歩む寺院を目指したいと思います。