法話
ビハーラ病棟の願い 〜ビハーラ病棟のいのち輝く日々〜
ビハーラという言葉はサンスクリット語で寺院、休養の場所またこころ休まるなどという意味があります。今では仏教によるターミナルケアの施設や理論をビハーラという狭い意味と医療と福祉全般に関わる活動としてビハーラを使う広い意味があります。
ここではホスピスに変わる意味でのビハーラ病棟の願いという事を五つに分けて述べてみたいと思います。
1 ビハーラ誕生
㈰ ビハーラはいのちを見つめるところ
仏教の究極の目的は生死の解決です。自らのいのちを問題にする時、真実を求めずにはおれません。しかし平素忙しさに追われている人は生死問題になかなか気づかないのでは無いでしょうか。ビハーラは死に直面している人々ですから自ら人生やいのちの事を考えざるを得ません。「この病気になって、これまでの人生を振り返っています、見直し人生です」と語られる方がよくあります。そしてこれは患者さんだけの問題ではありません。家族も医療スタッフも自らいのちの問題に直面するのです。
ビハーラはいのちを考える場です。
㈪ 患者中心の医療を行う
現在の医療制度の中で多くの病院では医師も看護師も非常に忙しく限られた時間の中で治療を行うため、医師中心の医療を行わさるを得ません。一日のスケジュールは決められていて患者の思い道理にはなりません。しかしビハーラ病棟ではいつも患者中心の医療を心がけます。患者さんの人生を考えその願い・個性を大切にしたケアを行います。毎日お風呂に入ったり、夫婦で旅行に出かけたり、晩酌をする人もいます。
人生の最後をその人らしく生きる手伝いをするところがビハーラです。
㈫ 肉体的・精神的・社会的・根源的苦悩からの開放を目指す
ビハーラに入院され方の多くがまず痛みを取って楽にして欲しいと願います。痛みがあれば食べる事も眠る事も出来ません。
Aさんは四十二歳の男性でした。痛みのために二週間ほとんど眠る事も出来ずにエビのように背を丸めて入院してきました。医師の治療により二日ほどでほとんど痛みが取れたら「ここはまるで極楽です。眠る事が出来たら食欲も出てきました」と笑顔で語った姿が印象的でした。痛みがあれば何も出来ません、ビハーラではまず身体的苦痛を取り除く事に全力を注ぎます。しかし身体的痛みが取れても病気は精神的にも社会的にもさまざまな苦悩を引き起こします。そして最後に自分の存在そのものに対する苦しみがあります。
そのような苦悩をスタッフ全員で受け止め、少しでも軽減するように勤めるところがビハーラです。
㈬ 仏教を拠り所としたケア
「ビハーラに入院してよかった、看護師さんに大変良くして頂いた、先生に痛みをとって楽にして頂いた。皆さんに大変お世話になりました」と言って帰られる方は大変多いのです。しかし私はそれだけならどこの病院でも出来るかもしれない。ビハーラでは救いが無ければならないとスタッフに話しています。
ビハーラケアの目標は『救いと癒しと安心のケア』だと思います。それにはやはり仏教によるケアが必要です。仏教を拠り所とするという事は真実に支えられて生きるという事です。阿弥陀仏の救済を信じ、お浄土を願うものはいつも仏様と一緒です。人間いのち終われば何も無いと思っている現代人は何時までも生きる事しか考えられません。生死一如という現実に目をむけた時、真実を求める心が起きるのです。その時求めるより先に呼び続けていた如来の真実に遇う事が出来るのです。その真実にであった時、何があっても生きる事が出来る、死んでいく事も出来るのです。
このようないのちの救いあるケアを求めるところがビハーラです。
㈭ チーム医療
ビハーラ病棟は医者が頂点にいてその下に看護婦・助手・理学療法士・作業療法士などがいるというようなピラミッド式な関係ではより良いケアは出来ません。ビハーラは患者さんを中心にして全員でチームを組んでケアを行います。僧侶も同じ立場でチームに参加します。ただ現在の医療の法律はあくまでも医師が中心です、何事も医師の指示に従う事が求められます。しかし実際の現場では看護師の役割が最も重要であると考えています。そしてビハーラでは一人一人がその責任を果たしチームとしてどれだけ纏まってケアが出来るかが大切な課題です。
このような願いのもとにビハーラが誕生しました。
2 病院・医療者との話し合い
ビハーラが誕生して今日まで話し合いの中で最も問題になったことをここに挙げて考えて見たいと思います。
その第一にビハーラ病棟は医療法人立であり、また厚生省認可の緩和ケア病棟です。したがって宗教色は出来るだけ薄めたいと願う病院側と、ビハーラは単なる緩和ケア病棟ではない仏教を基盤とした病棟であるから医師も看護師も仏教を理解し、より良い仏教的ケアを目指して学習して欲しいと願う仏教者との軋轢である。これは後に知ったことですが、入院相談の人や他の病棟の患者さんからも「坊さんのいる病院なんか縁起が悪くて入院できない」と漏らす人が何人もいたということです。仏教に対する世間のイメージは死と結びついて縁起が悪い、仏教イクオール葬式と考える人が多いのです。ビハーラ病棟に僧侶がいることで病院全体のイメージが悪くなるのではないかと懸念する事務局側の思惑があったために極力仏教色を薄めたいと願ったのです。しかしこの仏教に対する市民の受け止め方の問題は今でも残されている課題です。そして私たち僧侶は仏教が今を生きる私の支えであり、真実の拠り所である事をこれからも訴え、実践していくことによって誤解を取り除く必要があります。
第二に告知の問題です、この問題は個人個人により、ケースによって異なる問題であり、功罪両面が有ります。現在でも『日本死の臨床研究会』などで必ず取り上げられる問題です。現状は多くの病院では告知をする方向になっています。現在ビハーラ病棟では入院してくる患者さんの約四割は告知を受けていません。その一番の理由は家族の反対です。現在の平野医師は告知には積極的ですが、やはり家族の反対を押しきってまで告知はしない方針を採っています。しかし仏教の基本は真実に目覚めることです。自分の事を周りの人は知っていても、自分だけ知らないままでは良い結果は得られません。出来る限り真実を語ることが必要であると考えています。それが出来ない場合でもうそをついてその場をごまかす事だけはしないと確認し合っています。
こんなケースがありました。Bさんは六十七歳の女性です。病状の進行が早く本人はもちろん、ご主人も家族も病気を受け入れる事が困難でした。家族から絶対に告知はしないで欲しいと言われました。しかしBさんは医師に「自分の病気は悪いものではないのか?」と尋ねましたが、医師は家族との約束が有り真実を語りませんでした。次第にBさんは家族や医療スタッフへの不信感から話す言葉が少なくなり、ほとんど沈黙を続けるようになりました。
スタッフは真実を告げる事を薦めるため、家族に集まった頂き話し合いをしました。「いま真実を告げなければ時期を失してしまいますよ」と現状を説明しました。その席でもご主人や長男夫婦は告知に反対しました。そして話し合いを終わろうとしたとき、今まで沈黙していた東京に出ている次男が口を切りました「誰の事を話しているのだ。これはお母さんのいのちの話ではないか。こんな重大な事を本人抜きで決めて良いのか」と訴えたのです。
普段面倒をかけてきた父や兄に対して遠慮していたのでしょうが、最後に訴えた次男のこの一言によって、全員告知する事に同意したのでした。それからしばらくしてBさんは亡くなられていきましたが、なおご主人は妻の死を受け止める事が出来ずに、ビハーラの仏堂に半月余りお参りにこられていました。ある日法話の後「やっと踏ん切りがつきました。ありがとうございました」といって別れました。
その他ビハーラはチーム医療でありお互いの意志の疎通を十分に計る必要がある。特に医療スタッフと僧侶の意志の疎通をもっと密にしなければならない事などが時々問題となっています。
3 仏教を拒否した患者
ビハーラ病棟に入院する時には病棟についての説明があり、仏事や僧侶の役割についても話します。多くの患者・家族は仏教や僧侶を受け入れてくれますが、中には仏堂にお参りする事や僧侶の入室を拒否する方もあります。その中にはキリスト教や新興宗教に入信している人もいますが、多くは仏教に対する偏見があるからだと思います。
Cさんは六十四歳の女性です。入院時の話し合いでCさんは「私は仏教を好きではありません。お坊さんの話も聞きたくありません」と宣言されました。多くの患者さんは、お参りをする気持ちが無い場合「少し落ち着くまでお参りは遠慮します」などと遠回しで言われるのですが、Cさんは珍しい方でした。事実最初のころは自分で歩けるのに仏堂には一度も足を向けません、僧侶の訪室も拒否していました。しかし入院生活が長くなるに連れて寂しくなってきたのでしょう。僧侶の訪室を受け入れるようになりました。しかし宗教の話やいのちの話は出来ませでした。
Cさんは今までの生活や食事の事などたわいのない話をしていました。Cさんは夫と二人暮らしで子持たずでした。夫と共に働き、自分で自分の事はやってきたと言う自負がありました。人の世話に成らずに生きてきたと言う自信があったのだと思います。暫くして病状が進行し、歩行が出来なくなり、食事も取りづらくなりました。Cさんは医師に「私はこれからどうなるのか」と真剣に尋ねるようになりました。ある日医師は彼女の訴えを聞いて「いのちの短い」事を告げました。そして看護師や他のスタッフに予後の事を告げたので二・三日はよく注意して看て欲しいと話がありました。
その日私は午後から病棟にいたので、Cさんの病室を訪ねました。彼女は普段とあまり変わらない様子で話してくれました。そして午後四時になったので夕方のお参りをしてきますと言って部屋を出ようとした時です。「木曽さん私もお参りして良いかしら?」と尋ねてきたのです。四ヶ月余り全くお参りしなかったCさんの言葉に一瞬耳を疑りましたが、すぐ看護師と車椅子で仏堂に連れて行き、一緒に初めてのお参りをしました。それから毎日お参りを続けて、二週間後にCさんは亡くなりました。なぜ突然Cさんはお参りをしたのか、後日デスケースカンファレンスで話した事ですが、Cさんは自分の事は自分でやってきた、お金もある、仏様の厄介にはならないと思っていた。しかし後数週間のいのちと知らされた時、あて頼りにしていたものが全部崩れていってしまったのです。手を合わせるしかなかったのではないでしょうか。さらに亡くなった後、彼女があんなに嫌っていた仏様にと、ご主人からお礼状と高額の寄付が届きました。
生死の問題に気づいた時、どんな人でも宗教的ニーズは必ず在る事を教えてくれた人でした。
4 人間何の為に生きるのか
「死にたい」と訴える患者さんは時々います。しかしその訴えの奥にあるものは何かをいつも考えます。多くの場合食べる事が出来なくなった、おむつがあたるようになったなどという身体的苦痛によるもの。もう一つは家族に迷惑ばかりかけている、何も役にたたない、生きている価値が無いという思いです。しかし身体的困難が無ければ生きたいのです。
次に生きる価値が無いという患者さんにどのように接するか、こんな経験がありました。
Dさんは五十歳の女性です。その年の三月までは、元気に働いていたのですが、検診で子宮がんが見つかりガンセンターで手術を受けました。四月には退院し、暫く自宅で療養していました。ところが七月に肺と骨髄に転移が見つかり、治療を受けましたが思わしくなく、八月末にビハーラへ転院してきました。入院当初は、病状も安定していて、いろいろな話を聞かせて頂きました。Dさんはご主人と別れて二人の子供を育ててきました。一人は東京へ就職している長女、一人は大学四年生の長男です。この長男が大学を一年間休学してDさんの付き添いをしたのです。彼は六月に就職も決まり、あと半年学校に通えば晴れて社会人に成れる身でした。しかし大学よりも就職よりも大切なものがある。自分を生み育ててくれた母への思いから休学を決心したのだと思います。暫くして骨髄への転移により次第に下半身から麻痺が起こってきました。ベットより動く事が出来なくなり、おむつを当てなければならなく成りました。五十歳の母のおむつを二十二歳の息子が換えるのです。母も子もどんなに辛い事だろうと思って見守っていました。十一月のある日、長男が暫く母をお願いしますと部屋を空けた時の事です。雑談の後Dさんが「生きるって、とっても辛いですね」と言いました。
私は暫く考えました、この人は決して死にたくはないのだ、何も役に立たない、迷惑ばかりかけているこの身で生きるってどんな意味があるのだろうという問いではないかと。人間は人生の価値を生産性や有用性で考えています、私は仕事で社会の為、人の為に成っているのだという価値、家庭や地域での活動で役立っているのだという思いで生きています。その他音楽や絵画などの芸術に触れて感動する、スポーツや趣味による充実感が生きがいになっている人もいます。また周りの人との愛情や友情を支えに生きている人もいます。しかしDさんのように人に迷惑をかける事しか出来ない、物事に感動する事も出来ない、子供を犠牲にして生きている。こんな私に生きる意味があるのかと問ている訳です。私は暫く考えてから、自分の事を話そうと思いました。十九歳で私は五十二歳の父を亡くしています。Dさんと似た境涯を経験したのです。
父は最後の二年ほどは寝たきりでした。十八歳の私が大学へ入学する時心配していろいろな話をしてくれました。その年の夏休みに帰った時は声も出なくなっていました。翌年の五月に亡くなっていきました。私の中に大きな穴の空いたような気持ちになった事をDさんに少しずつ話しました。
「寝たきりでも、何も出来なくてもいい、生きていて欲しいと願う人がいます」また「私たちはこの身体全て頂いたものです、育てられてきたものです。そして大きな願いがかけられて育てられて来たいのちです。頂いたいのち、願われているいのちを一日一日大切にいきましょう」私たちは自分の力で生きていると思っていますが、本当は生かされているのではないでしょうか。生かされてあるこのいのちですから、生きたくても寿命がくれば死んでいかねばなりません。また死にたくても自分の自由にはならいのです。彼女は涙を流してうなずいてくれました。
それから一月ほどして亡くなっていきました静かな最後でした。
人間は『自然法爾』のいのちを生かされているのです。無理矢理いのちを延ばす事もまた縮める事も自然の通りに反する人間のエゴではないでしょうか。最近の医療に大きな疑問を感じます。私のいのちの値打ちは長さではなく、行為によるのです。いくら長く生きても、真実に遇う事が無ければ空しいいのちで終わっていかねばなりません。
5 おわりに
ビハーラではたくさんの出会いがあり、別れがあります。その一人一人が死を間近にして一日一日を真剣に生きようとしている人々です。全く私が学ばせて頂く場でした。
そして本来ビハーラという場は僧侶が造らねば成らないところです。それを医療法人が造って、私たちに協力を求めてきたのです。今後とも単なるボランティアではなく、私の歩む道としてビハーラ活動を続けていきたいと思います。そしてこのような施設が長岡だけではなく全国各地に誕生し、多くの僧侶が関わって共に悩み共に喜びを分かち合いたいと願っています。