法話

法話

ただ一つの道 

浄土真宗を開かれた親鸞聖人は「ただ念仏のみぞまことにておわします」と述べておられます。ただとは唯一ということです。刻一刻と移り変わり、あてにならないこの世の中で真実のよりどころ、変わらないものは念仏だけであるということです。しかし私たちは生きていく道はいろいろあると思っていないでしょうか。「わけ登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」いう歌もあります。今世界中には沢山の宗教があります。その宗教によって戦争も起こっています。仏教の中も様々な宗派に別れています。真理は一つ、皆同じでしょうか?いろいろな道(教え)がありますが、今、私の登る道は一つしかありません。私たちが仏になる道はお念仏の道より他はないのです。なぜなら彼岸(悟りの世界)はこの世から隔たりが余りに大きくて私の方からは決して届かないのです。親鸞聖人は二十年間比叡山で命がけの修業をされました。しかしそこに救いは無かったのです。二十九歳の時「私は自力修業の道を捨てて、他力の人生を生きる」と宣言されました。たった一つ私に通じる道は阿弥陀如来のお念仏が向こうから届いてくださる道しかないのです。でもお念仏は本当に私が浄土に生まれて、仏になる道なのかと疑問を持つ人も多いと思います。阿弥陀様は私たちには想像もつかない広大な心で私を救うという願いを起こされたのです。それを蓮如聖人は「不可思議の願力によって仏様の方で私のお浄土参りを決めて下さる」と述べられました。阿弥陀如来の不可思議の働きが、お念仏となって私に届いて下さるのです。向こうから届いてくださっているお念仏が今私の口から出ているのです。そのお念仏に出遇うとき、私の深い迷いの心や自力の心を打ち破ってくださるのです。これが私の生きるたった一つの道です。