法話

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真実(まこと)の誕生 〜なにものにも恐れることのない確かな人生〜

 私が今人間に生まれてきたと云うことはすばらしいことです。人間として私は何のために生まれ、生きているのでしょうか。
 毎日忙しい忙しいと走り回っています。会社のため仕事のために生まれてきたのでしょうか。子育てや先祖からの田畑の為に生まれてきたのでしょうか。会社のためでも、財産のためでも、子供のための人生ではないはずです。私自身のための人生です。私たちは皆幸福を求めて生きています。
 その幸福とはいったい何でしょうか。お金や地位や名誉を得ることでしょうか。明るい家族生活でしょうか。自分自身の健康でしょうか。それらを求めている人は多いと思います。しかしそれらは幸せの道具や材料ではないですか。もちろん家族もお金や健康も大切です。しかしどんなにお金があっても健康でも不平不満はあるのではないですか。それは私というあてにならないものをよりどころとしているからです。何もあてにならない明日の解らない私たちではないですか。その私が真実に出合うことが本当の誕生です。
 真実に出合うとは人生の目的が明らかになることです。そして変わることのない真実に支えられて生きることです。必ず死なねばならないこのいのちは何処へ行くのでしょうか。私の人生は今日を確かなものに支えられて生き抜き、お浄土という真実の世界へ生まれて仏にならせて頂くいのちではなかったのでしょうか。

 親鸞聖人は二九歳の時比叡山を下りて法然上人に出合われました。それが親鸞聖人の人生で最大の出来事です。そのことを教行信証の終わりに『慶しき哉、心を弘誓の仏地に樹て』と述べておられます。自分自身をあてたよりにして生きてきた親鸞聖人が、阿弥陀如来のお慈悲の中に抱かれて、お念仏という真実をよりどころとして生きる身になられたのです。
 
 お念仏に支えられて生きる人生とはとはなにものにも恐れることのない確かな人生です。明日の解らない当てにならない人生、不安の中でお金やものに頼る生き方から、いつ何が起こっても変わることのない真実に支えられて力強く生きる人生が開かれるのです。念仏者の生活はいつも阿弥陀様に護られて、苦しみや悲しみを乗り越えて生き抜く人生です。