法話

法話

直葬 〜亡き人の思いに叶うような葬儀を〜

 最近「直葬」というよく言葉を耳にします。病院などで亡くなられた方を自宅にも、葬儀場にも寄らずに、直接火葬場に運び、葬儀もせずに家族だけで24時間たったら焼いてしまうということを「直葬」というのだそうです。

 亡くなられた方の最後のお別れを誰にも知らせず、ただ焼いてしまうことは、あまりにも淋しく悲しいことでは無いでしょうか。愛する肉親を亡くした家族は亡き人との別れを通夜、葬儀を通して、親族や友人より慰められ、別れを惜しみながら、亡き人の人生を振り返り多くの想い出を語ることによって、少しずつ少しずつ別れの悲しみが癒されていくのではないでしょうか。葬儀は亡き人との別れの大切な儀式であり、その人の人生の締めくくりです。亡き人の思いに叶うような葬儀を考えなければなりません。
 また仏教によって葬儀を勤めることは大切な意義があります。人間は生まれたらいつか必ず死を迎えねばなりません。これは2500年前お釈迦様の時代も今も変わりません。医学が進歩し、科学が発達し私の回りには物があふれています、しかし医学でも、物でも人間を救うことは出来ません。また愛する家族も一緒に死ぬことは出来ません。

 お釈迦様はお経に「人はつきつめてみると一人生まれ、一人死に、一人来て、一人去らねばならない、誰も替わることは出来ない」と説かれています。しかしその人(私)を必ず救うと呼び続けていてくださる方が仏さま(阿弥陀如来)です。「いつでも、どこでも、誰でも必ず救う我に任せよ」と私を呼んでいる呼び声が「南無阿弥陀仏」です。お念仏に出遇った者は仏さまと共に日暮らしし、仏さまと共にいのち終わっていくのです。仏さまと共に往く世界はお浄土です。仏教でお葬式をするということは、ただ死ぬのではない、私たちが仏になる人生を歩んでいることをお念仏を通して聞かせていただくのです。