法話

法話

新型コロナウイルス感染症に思うこと 

今世界中が新型コロナウイルス感染症に大混乱しています。いまだ終息のめどもたっていません。この病いの根本に私たちの不安があると思います。普段暮らしている時、私は安心、当分大丈夫と考えている人が多いのではないでしょうか。事実は異なります、釈尊はこの世は無常であり、老少不定(人の寿命は年齢には関係がない)と説かれました。誰もいつ何が起きるか解らないのです。この感染症によって他人ごとではない、自分にいつ起こるか解らないという不安が多くの人を暗闇に落としているのではないでしょうか。

親鸞聖人は「無明長夜の灯炬なり  智眼くらし悲しむな

生死大海の船筏なり  罪障おもしとなげかざれ」

(真実を見ることの出来ない私たちに仏様は大いなるともしびを掲げて導いて下さる。無常のいのちの中に生きる私たち、仏様は迷いの海に沈む私たちを船となって救い取って下さる。)念仏は私を照らす光であり、私を救い取る船のようであると自身の喜びを述べておられます。

しかし私たちは念仏を称えるだけで、安心も安全も得られないと思っている人が多いのではないでしょうか。医学は私たちの病気を治してくれますが、根源的苦悩を解決することはできません、そこに宗教が働いているのです。根源的苦悩を抱えて生きていかねばならない私を見捨てないと寄り添っている真実が私の口を通して南無阿弥陀仏と呼んでいるのです。

「みほとけを呼ぶわが声は

みほとけの我を喚びます声なりけり」甲斐和里子

お念仏を称えるとき、いつでも、どこでも、誰でも仏様にいだかれ、守られているのです。