法話

法話

大きなはたらきに生かされて 

 

以前の事です、5歳になる孫が庭で遊んでいた時の事です。突然母親の悲鳴のような声が聞こえました。「何しているの?地面から水が噴き出してきたよ」私もあわてて見に行きました。庭が水で溢れていました。とっさに水道管を破ったと思い、水道の元栓を止めました。しばらくして水道工事人が来て修理していただきましたが、「良くこんな深くまで子供が掘ったね」と感心していました。母親はきつく叱っていましたが、私もよくも掘ったものだと感心しました。彼は小さな身体で、普段母の使っているクワを振りかざし、一生懸命に土を掘り、穴を大きくしていたのです。5歳の子供が出せる力を精一杯出して遊んでいたのです。その彼が精一杯遊ぶことが出来たのは、母親がいつもじっと見守っているからです。泥だらけになったら、新しい服を着せてくれる。お腹がすいたら、おいしいものを作っていてくれる母がいることによって安心して、自分の力を出し切って遊ぶことが出来るのです。しかし母親が、いちいち口を出したり、手出しをしたのでは子供は楽しくないでしょう。危ないことがない限り、いつも温かく見守っているのです。子供が精一杯遊べるようにじっと見守っているのです。

浄土真宗の教えに他力本願という言葉があります。多くの人が誤解をし、間違って使用しています。これは阿弥陀如来の大きな願いが、今、私に働いていると言うことです。阿弥陀如来の大きな願いとは「すべてのものを必ず救う、見捨てることはない」と言う誓いの言葉です。毎日を生きている私たちの人生は、思うようにはなりません。苦しいこと、悲しいこと、辛いことが多いのではないでしょうか。その時お念仏となって仏さまはいてくださいます。私を決して見捨てることのない仏さまに懐かれているのです。与えられた事は、自ら乗り越えていかねばなりません。そんな私を精一杯生き抜きなさい。「この弥陀がついている。安心せよ!」と励ましてくださる、働きこそ他力本願というのです。この仏さまの働きは、今のこの私に働いています、そしていのち終わるとき、阿弥陀様と一緒にお浄土へ生まれさせていただくのです。お念仏は私に強く明るく生き抜く人生を与えてくださいます。