法話

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共に生きる姿勢 〜いつも自分を理解し共に生きる人を欲している〜

 私は18年間長岡西病院ビハーラ病棟の手伝いをしています。多くの人々の苦悩を看てきました。
 ビハーラ病棟は末期ガン専用病棟ですから、2ヶ月あまりで亡くなられる方が多いところです。しかし人間はいくつになっても死にたくはありません。自分を理解し共に生きる人が欲しいものです。私は高齢者と共に生きる理解者でありたいと思っています。

 ビハーラ病棟に94才の女性が入院してこられました。彼女は6年前の中越地震で自宅が全壊し、仮設住宅に2年間住まいし、その後ようやく県の復興住宅に入ることが出来ました。
 暫くして介護していた娘さん(70代)が腰を痛めて手術をすることになり、一人では生活できないので、検査入院することになりました。その過程でガンが見つかり、ビハーラ病棟に転院になりました。

 彼女は入院当初から「長生きをしすぎた」「早く死にたい」と訴えました。もっと早く死んでいればあの恐ろしい大地震に遭わずに自宅で死ぬことが出来たのに、また娘は自分の介護のため身体を壊してしまった申し訳ないと云う思いがあったのだと思います。

 ビハーラ病棟は末期ガン専用病棟ですが、決して死ぬことを待つだけの病棟ではありません。できる限り痛みを取りその方の人生の最後を有意義に悔いのない日々を送っていただけるようにスタッフ全員でケアしているのです。
 ある日医師が訪室すると「この病棟は患者の願いを中心に看取りとケアをするとパンフレットに書いてあるではないか。先生、私の願いは早く死にたい。殺してくれ」と訴えたそうです。医師は困惑しましたがどうすることもできません。
 そんなある日、担当の若い看護師が「○○さん、私は貴女を他人だとおもっていません。本当の祖母のようにおもっています。一日でも長く生きて欲しいのです。いつもそばにいますよ」と語りかけました。その言葉を聞いた彼女は突然「あー、お腹減ったスイカ食いたい」と訴えました。さっきまで「早く死にたい、殺してくれ」と言っていた方が、スイカが食べたいと云ったのです。彼女は家を無くし、頼りにしていた娘さんにも別れ、誰も自分を理解してくれない。寂しい思いをしていたのです。しかし自分を理解し、そばにいてくれる看護師のまごころが通じたのだと思います。

 高齢でも、病人でも死ぬことは望んでいないのだと思います。いつも自分を理解し共に生きる人を欲しているのです。彼女はそれから死にたいとは訴えなくなりました。しかしそれでも必ず死は訪れます。暫くすると容態が悪くなってきました。どんなに医学が進歩しても、科学が発達してものが溢れていても、老病死は昔も今も変わりません。医学も、ものも人間を真に救うことは出来ません。彼女の思いも、看護師のやさしさも最後は空しいのです。私は病室を訪ね「仏様にお任せしましょう。お念仏を称えましょう」と勧めました。彼女の口から静かにお念仏漏れました。そして暫くして亡くなって逝かれました。