法話

法話

いのち輝いて生きる 〜妻の突然の死、自分は末期癌、しかし阿弥陀様がついています〜

 暫く前に、若い姉妹が殺害され、放火されるという痛ましい事件が起こりました。犯人は無職の青年です。彼は高校時代母を殺害しその感覚が忘れられずにまた恐ろしい事件を起こしたと言われています。僅かな金銭を強奪するため、二人の何の罪もない姉妹を殺害したのです。
 自分のことしか考えず、お金のためなら何でもするような事件が続発しています。自分さえよければという思いが重大な事件を次々と引き起こし、そして多くの人々がお金さえあれば何でも出来ると、お金至上主義が蔓延しています。混迷を深める現代社会にあって本当の幸せとは何かを考えなくてはなりません。お金やものでは本当の幸せは得られません。
 ジャーナリストの千葉敦子さんは乳ガンが再々再発転移の後、著書「よく死ぬことは よく生きることだ」の中で「命が有限なものであることを深く認識すれば、世間的な成功とか、物質的な裕福さとか、ばか騒ぎなどが、どんなに意味のないものであるかが、おのずからはっきりしてくる。自分は何をするために生きているのか、残された時間に何をすべきなのかを考えるようになる」と書いています。
 本当の幸せとはどんな境涯にあっても、今生きていることに喜びを見出す事であり、人生に希望を持つことです。私たちは何が起こるか判らないはかない命を生きています。先の新潟県中越地震で一瞬の内に全てを失った人が、親鸞聖人の「ただ念仏のみぞまことにておはします」の言葉がしみじみと感じられたと述べています。念仏はいつでもどこでも誰でも必ず救う、我にまかせよという阿弥陀様が私を呼ぶ声です。念仏は私がどんな境涯にあっても、どこにいても、私に人生の目的を与え、苦悩を乗り越える力を与えてくれます。
 
 長岡に末期癌専用病棟「ビハーラ」があります。この病棟に42歳のAさんが入院してこられました。Aさんは5月に体調不良を訴えて病院を受診しました結果は肝臓癌の末期でした。しばらくしても病状は回復せず、自宅に帰されました。しかし痛みが激しくなり8月末にビハーラ病棟に入院しました。3日目には嘘のように痛みが取れ笑顔も出てきました。Aさんには妻と2人の子供がいます。その奥さんが突然亡くなったのです。Aさんは高校を卒業して板前の修業をしました。そこで知り合った同年の奥さんと苦労して店を持ち、働いて・働いてようやく仕事も順調に行きはじめた矢先の事でした。
 妻の突然の死、そして自分は末期癌、彼は呆然とし人生の不条理をしみじみと感じたことでしょう。それからのAさんは病棟の仏堂に朝晩のお参りに出ました。一人手を合わせている姿は何かにじっと耐えているようでした。しばらくしてAさんは「お経にあうと気が休まります、法話を聞くと仏様に守られている自分を感じます」と話してくれました。やがてAさんは医師に「もう二人の息子に何もしてやることが出来なくなりました。でも父が最後まで精一杯生きたという姿を見せてやりたいのです。どうかお願いします」と頼みました。彼を支えていたのは周りの人々や、なによりお念仏でした。どん底の人生の中で仏様の呼び声に出遇ったのでしょう。阿弥陀様が一緒にいてくださる。自分と子供のため一日一日を大切に精一杯生き抜かれた姿に私たちも感動しました。
 
 お念仏のみ教えは私がどんな境涯にあっても、どこに行ってもいつも私を生かす働きです。お経の中に「人間はつきつめてみると、一人生まれ、一人死に、一人来て、一人去らねばならない。誰も替わることは出来ない自らこれに当たる」と説かれています。私たちは自らの境涯を受け入れていかねばなりません、そこから逃げることは出来ないのです。お金やものだけでは生きられない、思うようにならない人生を生きています。しかし阿弥陀様と一緒に歩む人生は一人ではありません。阿弥陀様がいつも一緒です。念仏申すところにいつも阿弥陀様はいてくださいます。