法話

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「一人生まれ一人死ぬ」 〜命が有限なものであることを深く認識していますか?〜

 いじめによる自殺、子供を殺す親、またお金のためなら何でもするような事件が続発しています。自分さえよければという思いが重大な事件を次々と引き起こしているのではないでしょうか。家庭が崩壊し、同じ家に住んでいても「孤食・孤遊・孤眠」の時代です。家族が揃って仏様に手を合わせ、一緒に食事をする風景は無くなりつつあります。そして多くの人々がお金さえあれば何でも出来ると、お金至上主義が蔓延しています。混迷を深める現代社会にあって本当の幸せとは何かを考えなくてはなりません。お金やものでは本当の幸せは得られません。
 故千葉敦子さんは日本で活躍し、がんの再発後はニューヨークでも活躍したジャーナリストでした。乳ガンが再々再発転移の後、著書「よく死ぬことは よく生きること」の中で「命が有限なものであることを深く認識すれば、世間的な成功とか、物質的な裕福さとか、ばか騒ぎなどが、どんなに意味のないものであるかが、おのずからはっきりしてくる。
 自分は何をするために生きているのか、残された時間に何をすべきなのかを考えるようになる」と書いています。彼女は名声やお金は手に入れました、しかし自分のいのちを見つめたとき、本当の幸せとはどんな境涯にあっても、今生きていることに喜びを見出す事であり、人生に希望を持つことだと考えました。
 私たちは何が起こるか判らないはかない、いのちを生きています。そのいのちを見つめ、本当の人生の方向性を与えてくれるものが真実の宗教です。南無阿弥陀仏の念仏は「いつでもどこでも誰でも必ず救う、我にまかせよ」と阿弥陀如来が私を呼ぶ声です。仏様はいつでも私と共にあり、私がどんな境涯にあっても、どこにいても、私に人生の目的を与え、苦悩を乗り越える力を与えてくれます。仏説無量寿経の中に「人間は究極のところ、一人生まれ、一人死に、一人来て、一人去らねばならない。誰も替わることは出来ない、自らこれに当たる。善業の者は幸いのところに生まれ、悪業の者は厄のところに生まれる」と説かれています。私たちは自らの境涯を受け入れていかねばなりません、そこから逃げることは出来ないのです。お金やものだけでは生きられない、思うようにならない人生を生きています。しかし仏様と一緒に歩む人生は一人ではありません。仏様がいつも一緒です。念仏するところにいつも阿弥陀様はいてくださいます。